サイデンステッカー

難しい日本語を英訳された功労者ですよね。

サイデンステッカー氏死去 米国の日本学研究をリード
68年に川端氏がノーベル文学賞を受賞したさいにはストックホルムに同行し、講演原稿「美しい日本の私」を英訳・朗読した。川端氏は「(ノーベル賞受賞は)半分は訳者の手柄」とたたえた。

 76年「源氏物語」を完訳。また日本論や日本文学論も積極的に発表。「現代日本作家論」「私のニッポン日記」などの著書がある。東京都文化賞、菊池寛賞、山片蟠桃賞などを受賞。勲三等旭日中綬章受章。




 ハワイと東京に半年ずつ暮らす生活を長らく続けていたが、昨春日本永住を決意、東京都内で一人暮らしをしていた。4カ月前に転倒して頭を強打、入院中だった。

エドワード・ジョージ・サイデンステッカー(Edward George Seidensticker, 1921年2月11日 - 2007年8月26日)は、日本文学作品の翻訳を通して、日本の文化を広く紹介したアメリカ人。より正確には「サイデンスティッカー」だが、親しみをこめて「サイデンさん」などと呼ばれる。

コロラド州の農家に生まれる。父方はドイツ系プロテスタント、母方はアイルランド系カトリックの出自。コロラド大学経済学部に進んだが、中途で英文学専攻に変更。海軍日本語学校で日本語を学んだ後、第二次世界大戦に出征し、海兵隊員として日本に進駐。帰米後、コロンビア大学で公法及び行政学の修士号を取得。1947年に国務省外交局へ入り、イェール大学とハーヴァード大学に出向して日本語の訓練を重ねる。当時まだ日本にアメリカ大使館が存在しなかったため、連合軍最高司令長官付外交部局の一員として滞日。その傍ら、東京大学に籍を置いて吉田精一のもとで日本文学を勉強した。その時の友人が直木賞作家の高橋治。日本語に熟達して評論活動を行ったが、1962年からスタンフォード大学に奉職、のちコロンビア大学教授として日本文学を講じ、アンソニー・チェンバースのような後進を育てた。また谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫ら日本の文学作品を英訳し、アーサー・ウェイリーに続く二度目の『源氏物語』の英語完訳も行った。多くの外国人日本研究家と違い、日本の良くないところも率直に言うため、変人扱いする人もいるが、きわめて誠実な人柄である。


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